棟方 志功 / Shiko Munakata

富山県南砺市に疎開し、戦中戦後の6年8ヶ月を過ごしたことで、柳宗悦はじめ民藝同人がこの地に集まるきっかけを作った棟方志功。
富山の土徳や精神風土に触れたことが、棟方の作品を大きく転換させました。
「いままでは ただの、自力で来た世界を、かけずりまわっていたのでしたが、その足が自然に他力の世界へ向けられ、富山という真宗王国なればこそ、このような大きな仏意の大きさに包まれていたのでした。(中略)富山では、大きないただきものを致しました。それは『南無阿弥陀仏』でありました」(棟方志功『板極道』)
楽土庵では、河井寛次郎の詩を棟方が版画にした作品や富山の陣のために制作した蓮弁の版画などを展示・販売しています。

棟方 志功(1903〜1975)
版画家。青森県青森市生まれ。
ゴッホに憧れ「油絵描き」を志す。
1925年、帝展入選を目指して上京するも3年続けて落選。
1928年、ようやく初入選を果たすが、同時期に版画制作も始め、1932年の国画会奨学賞受賞をきっかけに、版画家として歩むことを決心する。
1936年、国画会出品作「大和し美し版画巻」が柳宗悦や濱田庄司らに注目され、半年後に開館を控えた日本民藝館の買い上げ作品となる。これを契機に河井寛次郎を交えた民藝運動の指導者達との親交が始まり、以後、続々と代表作が制作されていった。
1940年、「二菩薩釈迦十大弟子」が国展で佐分賞を受賞。
1945年〜1951年まで現在の富山県南砺市福光に居住、多くの宗教人や文化人と交友、多くを学び精神性を深める。
1946年、「鐘渓頌」が日展で岡田賞受賞。1952年にはスイス・ルガノ国際版画展で「女人観世音板画巻」が日本人として初めて優秀賞を獲得。その後1955年のサンパウロ、1956年のベニス、両ビエンナーレでグランプリを受賞するなど、海外での受賞歴が続きその評価がつとに高まった。
1970年、文化勲章受章。没後の1975年に青森市に棟方志功記念館、1982年には鎌倉市に棟方板画美術館が開館(2011年閉館)。青森県立美術館、南砺市福光美術館、倉敷・大原美術館に常設展示室がある。

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